December 08, 2007
1990年代のユーゴスラビアのこと
今日のテーマは超硬派!
もちろん受け売りだけれども、複雑なボスニア紛争と前後の背景について
なるべく簡単に分かりやすくまとめたいと思います。
例えばオシム監督や名古屋グランパスの監督に決まったピクシー、政治家でもある総合格闘家ミルコ・クロコップなど、最近は日本でもこの地域の著名人が活躍することも多いので「ボスニア」「クロアチア」「セルビア・モンテネグロ」などの国名くらいは耳にしたことがある方も多いはずです。
地理と背景
旧ユーゴスラビアは、その大部分がヨーロッパ東南部のバルカン半島に含まれています。南スラブ系の民族がルーツですが、古代より民族紛争の絶えない地域でもありました。
北から時計回りにオーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアなど多くの国々に囲まれ、西にはアドリア海を挟んでイタリアがあります。第二次大戦後、ドイツ・イタリアから独立し共産主義としての道を歩む。課題だったのはその複雑な国家形成で、多くの民族や宗教、文化(言語)が混在した連邦国家(六つの共和国)でした。ソ連と米国の冷戦下では強烈な指導者(チトー)のもと、何とかその体制を維持してきたものの、冷戦終了後に東ヨーロッパの国々が徐々に民主化への動きを強める中、旧ユーゴスラビアにも変換期が訪れます。
・旧ユーゴスラビア社会主義連邦共和国

そして、80年代後半にセルビア民族主義のミロシェビッチ大統領が就任することで決定的な時を迎えました。
旧ユーゴスラビアの中心国だった「セルビア」はセルビア南部のコソボ自治州に併合を強行します。コソボは反発し、旧ユーゴスラビアは不安定な内戦状態に陥ります。(当時の指導者であったミロシェビッチ大統領は、後に国連から国際戦犯として逮捕。)
1991年(3ケ国が独立を宣言)
先ず、イタリアに近く経済が安定していた「スロベニア」が、いち早く民主体制での独立を成し遂げます。('91年/十日間戦争)
その後、「マケドニア」「クロアチア」と相次いで独立しますが、特にセルビアとクロアチアの紛争は泥沼化して4年も続きます。隣接していて内実は民族間の紛争ですから、隣近所同士が敵味方に分かれるというような悲劇も。('91-'95年/クロアチア紛争)各共和国が独立に至るプロセスは様々で、一方では旧ユーゴスラビアの体制維持も模索されたようですが叶いませんでした。
1992年('92-'95年/ボスニア紛争)
そして、クロアチア紛争と重なる形で別の共和国内でも更なる内紛が勃発します。「ボスニア・ヘルツェゴビナ」の独立を巡っての民族間の対立です。全土紛争という規模も生活も最悪の状況まで発展。アメリカやNATOの介入もあり、幾度もの和平交渉を経てようやく終結に至る。これで旧ユーゴスラビアは、ほぼ解体。
このボスニア紛争では、独立阻止のため旧ユーゴ軍は「ボスニア・ヘルツェゴビナ」の首都サラエボにも侵攻を開始します。そのため当時ユーゴのサッカー代表監督だったオシムは抗議の意味を込めて辞任する。('92年)
「辞任は、私がサラエボのためにできる唯一のこと。
思い出してほしい。私はサラエボの人間だ。」
当時のインタビューに応えるオシムの言葉が胸に響きました。
1990年代後半('98-'00/コソボ紛争)
紛争は一応の終息をみて、民主化された新しいユーゴスラビアの体制も認められます。オリンピックにも復帰しました。しかし、セルビア人によるコソボ自治州への強硬な姿勢がまたも対立をうみ、新ユーゴ軍とコソボ解放軍とが衝突します。NATO軍の介入をもって終結。'00年ミロシェビッチ大統領が退陣し、翌年に逮捕。さらに「モンテネグロ」も独立に向けた動きを示します。
先に独立した「クロアチア」は、サッカーW杯フランス大会で3位に入りました。
2001年('01/マケドニア紛争)
コソボ紛争の影響で「マケドニア」にアルバニア系難民が流入。'01年に「マケドニア」国内で民族間対立が紛争に発展し、EUが調停し停戦。
以上、ここまでが一般的に「ユーゴスラビア紛争」と呼ばれます。
2002年
サッカーW杯では、暫定的に「セルビア・モンテネグロ」としても本大会出場を果たしています。「クロアチア」「スロベニア」もそれぞれ本体会に出場し旧ユーゴ地域のサッカーのレベルの高さを証明した。
2006年(現在の6ケ国に)
「セルビア」と「モンテネグロ」に正式に分離。
だいたいこんなものかな。(間違いあったら教えてください。)
ユーゴスラビアに関心を持った理由は、映画の影響が大きい。そんないたって単純な理由。「アンダーグラウンド」「ボスニア」「ノー・マンズ・ランド」など、この地域や紛争を題材とした映画にはいずれも考えさせられました。現在でも、神保町の岩波ホールという古い劇場で「セルビアの花」が公開中です。この映画の感想を書く前に前知識として知っておいてほしいと思って、自分なりにまとめてみました。
○主な参考サイト
・Wikipediaのユーゴスラビア
・Wikipediaのボスニア紛争
・映画
アンダーグラウンド
・映画
ノー・マンズ・ランド
・DVD
引き裂かれたイレブン~オシムの涙~
+ + +
↑深夜に3時間かかった…。
あっ、明日(8日)はK-1のワールドグランプリです。
クラブW杯始まりましたー。
もちろん受け売りだけれども、複雑なボスニア紛争と前後の背景について
なるべく簡単に分かりやすくまとめたいと思います。
例えばオシム監督や名古屋グランパスの監督に決まったピクシー、政治家でもある総合格闘家ミルコ・クロコップなど、最近は日本でもこの地域の著名人が活躍することも多いので「ボスニア」「クロアチア」「セルビア・モンテネグロ」などの国名くらいは耳にしたことがある方も多いはずです。
地理と背景
旧ユーゴスラビアは、その大部分がヨーロッパ東南部のバルカン半島に含まれています。南スラブ系の民族がルーツですが、古代より民族紛争の絶えない地域でもありました。
北から時計回りにオーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアなど多くの国々に囲まれ、西にはアドリア海を挟んでイタリアがあります。第二次大戦後、ドイツ・イタリアから独立し共産主義としての道を歩む。課題だったのはその複雑な国家形成で、多くの民族や宗教、文化(言語)が混在した連邦国家(六つの共和国)でした。ソ連と米国の冷戦下では強烈な指導者(チトー)のもと、何とかその体制を維持してきたものの、冷戦終了後に東ヨーロッパの国々が徐々に民主化への動きを強める中、旧ユーゴスラビアにも変換期が訪れます。
・旧ユーゴスラビア社会主義連邦共和国

そして、80年代後半にセルビア民族主義のミロシェビッチ大統領が就任することで決定的な時を迎えました。
旧ユーゴスラビアの中心国だった「セルビア」はセルビア南部のコソボ自治州に併合を強行します。コソボは反発し、旧ユーゴスラビアは不安定な内戦状態に陥ります。(当時の指導者であったミロシェビッチ大統領は、後に国連から国際戦犯として逮捕。)
1991年(3ケ国が独立を宣言)
先ず、イタリアに近く経済が安定していた「スロベニア」が、いち早く民主体制での独立を成し遂げます。('91年/十日間戦争)
その後、「マケドニア」「クロアチア」と相次いで独立しますが、特にセルビアとクロアチアの紛争は泥沼化して4年も続きます。隣接していて内実は民族間の紛争ですから、隣近所同士が敵味方に分かれるというような悲劇も。('91-'95年/クロアチア紛争)各共和国が独立に至るプロセスは様々で、一方では旧ユーゴスラビアの体制維持も模索されたようですが叶いませんでした。
1992年('92-'95年/ボスニア紛争)
そして、クロアチア紛争と重なる形で別の共和国内でも更なる内紛が勃発します。「ボスニア・ヘルツェゴビナ」の独立を巡っての民族間の対立です。全土紛争という規模も生活も最悪の状況まで発展。アメリカやNATOの介入もあり、幾度もの和平交渉を経てようやく終結に至る。これで旧ユーゴスラビアは、ほぼ解体。
このボスニア紛争では、独立阻止のため旧ユーゴ軍は「ボスニア・ヘルツェゴビナ」の首都サラエボにも侵攻を開始します。そのため当時ユーゴのサッカー代表監督だったオシムは抗議の意味を込めて辞任する。('92年)
「辞任は、私がサラエボのためにできる唯一のこと。
思い出してほしい。私はサラエボの人間だ。」
当時のインタビューに応えるオシムの言葉が胸に響きました。
1990年代後半('98-'00/コソボ紛争)
紛争は一応の終息をみて、民主化された新しいユーゴスラビアの体制も認められます。オリンピックにも復帰しました。しかし、セルビア人によるコソボ自治州への強硬な姿勢がまたも対立をうみ、新ユーゴ軍とコソボ解放軍とが衝突します。NATO軍の介入をもって終結。'00年ミロシェビッチ大統領が退陣し、翌年に逮捕。さらに「モンテネグロ」も独立に向けた動きを示します。
先に独立した「クロアチア」は、サッカーW杯フランス大会で3位に入りました。
2001年('01/マケドニア紛争)
コソボ紛争の影響で「マケドニア」にアルバニア系難民が流入。'01年に「マケドニア」国内で民族間対立が紛争に発展し、EUが調停し停戦。
以上、ここまでが一般的に「ユーゴスラビア紛争」と呼ばれます。
2002年
サッカーW杯では、暫定的に「セルビア・モンテネグロ」としても本大会出場を果たしています。「クロアチア」「スロベニア」もそれぞれ本体会に出場し旧ユーゴ地域のサッカーのレベルの高さを証明した。
2006年(現在の6ケ国に)
「セルビア」と「モンテネグロ」に正式に分離。
だいたいこんなものかな。(間違いあったら教えてください。)
ユーゴスラビアに関心を持った理由は、映画の影響が大きい。そんないたって単純な理由。「アンダーグラウンド」「ボスニア」「ノー・マンズ・ランド」など、この地域や紛争を題材とした映画にはいずれも考えさせられました。現在でも、神保町の岩波ホールという古い劇場で「セルビアの花」が公開中です。この映画の感想を書く前に前知識として知っておいてほしいと思って、自分なりにまとめてみました。
○主な参考サイト
・Wikipediaのユーゴスラビア
・Wikipediaのボスニア紛争
・映画
アンダーグラウンド・映画
ノー・マンズ・ランド・DVD
引き裂かれたイレブン~オシムの涙~+ + +
↑深夜に3時間かかった…。
あっ、明日(8日)はK-1のワールドグランプリです。
クラブW杯始まりましたー。



